「~しなければならない」の呪縛

人というのは矛盾を孕んでいるからこそ美しいと考えている。

誰かから見れば矛盾しているような主義主張を唱えているようでも、本人にとってはそれらはきちんと行儀よく手を繋いでいて、自分の中に違和感なく存在している。このことは実に興味深い。その歪さに良い意味でも悪い意味でも惹かれてしまうことはままある。

しかし私が冒頭に書いたことを主張するには、私自身には矛盾があってはならないような気がしている。(それもまた一種の矛盾なわけで、結局人間は矛盾から逃れることが出来ないのかもしれない)

何故かと問われれば、「なんとなく美しくないから」ということに尽きる。

矛盾をたくさん抱えた人間が、「人というのは矛盾を孕んでいるからこそ美しい」などとほざいても、ただの自己弁護で終わってしまうような気がするからだ。

つまり私はこの主張の透明度を高める為に、私に矛盾が無いようにしなければならない。

 

ところで私はこの「~しなければならない」、「~すべきだ」という言い回しを多用するのだが、これが結構自分の思想を縛り付けているように感じる。記事のタイトルで『呪縛』と題したがまさにそれで、この「~しなければならない」という言い回しをしていると、その他の考えがまるで見えてこない。もはやその他の考えが全て180度違ったものに感じさえする。

なんとかならないものかとは考えているのだが、この言い方・考え方をする癖がついてしまっているようで、暫くはどうにもなりそうにない…。ただ、しんどいが、まあ嫌いなしんどさではないことが救いである。

 

最後に、敢えてもう一度この言い回しを使うとするならば、「私はこのブログの更新頻度をもう少し高めなければならない」…。