傷つけ合うのは悲しい

万人に通ずる答えがないものごとを考えている時、どうしても難しい(平易ではない)言葉を使ってしまうのは仕方のないことだと思う。

 
自分で自分の考えを整理する為に言葉にしているのであって、誰かに説明しよう、理解してもらおうと思って言葉にしているわけではないから。
 
或いは『わかってほしくない』のかもしれない。
だから婉曲的な表現をするのかもしれない。
 
ただひとつ言えることは、誰かのそのような状態を『中二病』などと言うべきではない。
思想は言葉を生むが、言葉によって思想が殺されてしまうこともある。
 
中二病』などという言葉で見下してくる人間を、また『高二病』などと言って揶揄する。収集がつかない。終わらない。
 
ひとを見下したって誰も救われない。
愛をもって生きたい。
たとえこの世の全てが苦しみであったとしても。
 
私は人が人を見下している様子を見るのをとても辛く感じる。
人が負の感情に支配されているのを目の当たりにするのが辛い。
ネットにおいて特に顕著だが、皆カジュアルに人を傷つけすぎだと思う。恐ろしい。おぞましい。
 
私だって負の感情に支配されてしまうことはある。
だが、人間は矛盾を孕んでいて、不完全だからこそ美しいと思っている。言い聞かせている。
でもそれを言う私は精神面で不完全であってはならない。
矛盾を孕んでいて、不完全だからこそ美しいと言う人がその通りならば、自己弁護にしか聞こえないから。
まあ、それはそれで、自分の中に矛盾が生じてしまうのだが。
 
私はこの『~でなければならない』、『~べきである』という文言を多用してしまう癖があるのだが、これが割としんどくて、自分を縛り付けているような感覚さえある。
 
 
 
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これは数ヶ月前に下書きに保存していて何故か公開していなかった文章だが、本日公開することにした。
同じようなことを書きたいと思い、今日このブログにアクセスしたので、後ほどまた記事を更新する。